※隙あらば自分語り記事
肉体的、精神的、いろんな面を鑑みて"""全盛期"""と呼べる時代が、誰しもあると思う。
自分の場合、それは大学3年生の頃だと思う。
大学3年といえば、僕らが1年だった時の3,4年生(ぽきにゃん、だおだぉあたり)の先輩方が卒業し、(一個上の方々もいるとはいえ)幹部学年になる感じの時期である。確かに調子コッキコキのタイミングではあったが、そういった意味合いではない。
自主的に動くことがほぼほぼない自分がいっっっっっっっちばんめちゃくちゃ活動的だったなあ、と感じる時期である。
その時期は「あ、面白そうだな」とは思っていたものの、時期を逃しちゃって入れずにいた"見た感じおもろいもん作っちゃおうぜ"的サークルに、すでに入っていた友達にお誘いいただいて入部した時期である。学科の講義でも似たようなことをしており、リープモーションとかキネクトとかを使って(自分としては)本当に面白そうなものを作っていた。
また、卒業した先輩に誘われて、友達数人とスマホアプリの開発大会みたいなものにも参加していた。
いずれも、今思えば作るのなんてむっちゃ簡単だし、後者のものなんてセキュリティ性もガッバガバなガラクタに過ぎない(友達と作ってるのでこの物言いはまずいが多分他のメンバーも同じこと思ってると思う)けど、意外といいところまで行ったし(うちのプレゼンターが神がかっていた)当時の僕らにとってはめちゃくちゃ輝いていたものだ。それを開発してた僕らもきっと、めちゃくちゃ輝いてた。
ものづくり的なところだけじゃない。おそらく一番たくさん、面白い友達ができた時期だった。
PCLでの岩雪崩事件、そこからポケカ、サマドリ、度重なる岩手合宿。とんぽふにも出るようになった。
そこそこタスクを抱えてても「行きたい!!」と思えるような人たちの集まりだった(あとみつる先輩に甘えさせていただけたのも大きかった)
機運厨、という言葉があるが当時はまさしく"""ソレ"""であった。
このブログを開いた時期がちょうどこの辺りで、最初期の岩手合宿とかの記事なんて今見るとすっごい恥ずかしいものだけれど、それでも「楽しかったんだなあ」と思えるものである。
さらにいえば、DDRが一番上手かった時期でもある。体力づくりもしていて、DDRの師匠たる友達にオススメしてもらった靴も買い、週3ぐらいで踏んでた。結局焼き鳥を焼き上げることはなかったけど、それでも足16くらいまではギリギリいけるような感じではあった(単純に体力が保っただけでは?)
このように、全盛期の自分は一言で表すと"""バチバチ"""していた。
今はどうかというと、一人暮らしは楽しくはあるが特にバチバチはしていない。
このバチバチ感をどうしても取り戻したい。仕事ができることも素晴らしいけど、やっぱり人間バチバチしててこそ、活動的であってこそ素晴らしいものだと思う。
で、思いついたのが「何かしらの個人的製作活動」と「運動」。これらから生じる"動いてる感"がバチバチ感に繋がるのでは???と、真剣に思っていた。
ここでいったん別の話になるが、ダイパリメイクを渇望する民がたくさん湧いてダイパキッズとして話題になったことが何度かある。
そんなタイミングで何人かが言っていた、「ダイパ自体は確かに面白かったけど本当によかったものは"友達と集まって遊ぶ感覚"なのでは」というお話。これはめちゃくちゃ的確だと思う。確かに、そもそもポケモンというゲーム自体その感覚が楽しかった。塾の建物の陰とか友達んちでみんなで集まってちかつうろやったり、ポケモン交換したり対戦したり。友達と遊ぶためにポケモン育成したり。個体値とか努力値の概念なんて知らなかったけど。大学でもそういう同じようなやつらと集まってやれるのがよかったんだよ。
とにかく機能だけじゃなく、機能を十全に生かせる環境があってこそ楽しかったんだな、と。
というのを思った瞬間、僕はダイパをやっていた頃にも、大学で色々面白いもん作ってた頃にも戻れやしないんだな、というのを痛感した。なるほど、人生の夏休み。単純に暇だってだけの話じゃなかったんだな。
おそらくバチバチ感自体は取り戻しが効くと思う。が、大学生の頃のような楽しみ方はできないんだろうな。だからこそ、今の社会人としての楽しみ方でバチバチいわせていきたい。というのが今年からの目標。